東京高等裁判所 昭和46年(う)1374号 判決
被告人 海沼貞男
〔抄 録〕
よつて検討するに、原判決の掲げる証拠によれば、被告人が原判示谷藤良雄に対し運送引受を拒絶した具体的事実関係は次のとおりであること、すなわち、東京乗用旅客自動車協会に加入する改進相互タクシー有限会社の従業員として営業用自動車を運転した被告人が、原判示昭和四四年一二月一二日午後一〇時三〇分ころ、国鉄上野駅前のガードの手前で浅草方面からの乗客を下車させた後、そのまま走行を続けて原判示上野四丁目一〇番一〇号京成ホテル前付近に差しかかつた際、原判示谷藤良雄が手を挙げて停車の合図をしたので、同所道路左端に停車したこと、その際谷藤は「巣鴨に行つてくれ」と申し向けて乗車の申込をしたが、被告人は「銀座方面なら行くが巣鴨には行けない」と申し向けて、運送引受を拒絶したこと、被告人が右のように申し向けて拒絶したのは、同日朝出庫する際に、上司から、銀座回送車として午後一一時から午前一時までの間に銀座乗車場に行くように業務命令を受けていたので、この命令に従う措置として午後一一時までに銀座乗車場に入りたいと考えていたためであること、しかし、被告人は、その際、すなわち、上野駅前のガードの手前で乗客を下車させてから後は、空車板を掲げて走行していたものであつて、銀座回送の表示のある回送板を掲げてはいなかつたことを認めることができる。
そこで、以上の事実を前提として考えてみるに、
(一) 原判決は、前掲自動車運送事業等運輸規則一三条一項三号に「泥酔した者又は不潔な服装をした者等であつて他の旅客の迷惑となるおそれのある者」というのは、泥酔した者及び不潔な服装をした者だけに限る趣旨と解すべきであるから、本件における谷藤良男のように銀座地区以外の方向に行くことを求めた者はこれにあたらないというが、右一三条一項三号は、元来が一般乗合旅客自動車運送事業者を対象とした規定であり、同条四項及び三項により一般乗用旅客自動車運送事業者にもその適用のあるものではあるが、その意とするところは、乗車の申込をした者が泥酔した者又は不潔な服装をした者等であつて、その者が乗車して下車した後にその車両に乗車する他の乗客あるいはその者を含めて二人以上の者が同一の車両に乗車しようとする場合におけるその者以外の乗客のような他の乗客にとつて迷惑となるおそれのある者であるときは、その者の運送の引受または継続を拒絶しなければならないというにあつて、その対象を泥酔した者及び不潔な服装をした者だけに限るものではないが、前記谷藤のように銀座地区以外の方向に行くことを求めるに過ぎないものはこれにあたらないというべきであるから、その理由は異なるが、本件が右一三条一項三号の規定する除外事由にはあたらないとした原判決の判断は、結局は正当である。
(二) 次に、原判決が証拠として掲げる昭和四二年一〇月二八日付東京陸運局長から東京乗用旅客自動車協会ほか二者宛の「タクシー事業運営の適正化について(警告)」と題する書面(写)、原判決が弁護人の主張に対する判断中に援用する昭和四四年五月六日付警視庁交通部、警ら部作成の「乗車拒否の実態と対策について」と題する書面(写)、昭和四四年一二月一二日付東京乗用旅客自動車協会会長より社長宛「銀座地区乗車場回送券返送方御願について」と題する書面(写)、同年同月二六日付前同協会会長より社長宛「銀座及新宿歌舞伎町地区義務配車車両の完全配車についてお願い」と題する書面(写)、昭和四五年三月六日付前同協会長より社長宛「銀座、新宿回送車両倍増方お願い」と題する書面及びこれに添付の同年三月四日付「警視庁および東京陸運局との間におけるタクシー営業の適正化のための行政指導および取締りに関する合意事項」と題する書面(各写)に原審証人井上留太郎及び当審証人中里雅行の各証言等を総合してみると、いわゆる銀座回送車なるものは、銀座地区においては、午後一一時ころから翌日の午前〇時三〇分ころにかけてタクシーを求める客が急増するのに対し、その要求を充たすだけのタクシーの回送がなく、そのために種々の不都合を生じていたところから、警視庁及び東京陸運局から業者の団体である東京乗用旅客自動車協会その他に対し行政指導がなされた結果、各業者団体が午後一一時以降銀座地区に回送すべき車両数を各業者毎にその保有車両台数に応じて定め、各業者においてこれを実行することを申し合わせ、監督官庁である東京陸運局の承認を得てこれを実施していたものであり、各業者は内部的にはこれを所属運転手に対する業務命令として実施した場合があり、実際に銀座地区に回送した車両台数が割当台数に比して少な過ぎる場合には、監督官庁である東京陸運局において当該業者に対し一定台数の車両の使用を一定期間差しとめる等の制裁的措置を執つたことがないでもないことを認めることができるが、いずれにしても、東京陸運局が承認した業者団体の申し合わせ内容においては、午後一一時に近接した時間以降銀座乗車場に回送することを義務づけられているタクシーの運転手は、自車の前面に銀座回送と表示した回送板を掲示すべきこととなつており、一般的にいつても、回送の表示板を掲げた車両は、運送引受の誘因を示していないもの、換言すれば運送を引き受ける意思のないことを予め明示しているものであるから、運送の申込を受けてこれに応じなかつたとしても、これを引受の拒絶ということができないばかりでなく、銀座回送車の場合は、運送上の相当な理由があるものとして東京陸運局の承認の下に執られている措置でもあるから、それが銀座回送車に仮装して乗車拒否をするものであること等の特殊事情の認められない以上は、一定の時間帯及び場所において銀座回送の回送板を掲げた車両に関する限りは、道路運送法一五条六号にいう「その他やむを得ない事由による運送上の支障があるとき」にあたらないとはいえないが、本件被告人の場合のように、銀座回送の回送板を掲げず、空車板を掲げていた場合においては、右一五条六号の適用はないというべきである。況んや、被告人が原判示上野駅近くで谷藤良雄から乗車の申込を受けたのは午後一〇時三〇分ごろであるから、その申込に応じて同人を巣鴨まで運送した後であつても、銀座回送車として午後一一時から午前一時までの間に銀座駐車場に赴くべき業務命令に従うに、十分な時間的余裕があつたことの明らかな本件においては、正当な業務行為として刑法三五条を適用する余地もないというべきである。
(江里口 上野敏 中久喜)